「死」について語るイベント
10月20日(土)に、浜松町にあるワークハピネス社のコミュニケーションスペースにて、みんくるカフェとキャンサーペアレンツのコラボイベント「死について語ろう。医療者とがん当事者で。」を開催しました。
「死」を語ることはタブーなんでしょうか。「死」を考えることで「生」を見つめることができるんではないでしょうか。「死」を意識したことがあるがん当事者と、「死」に触れる機会がある医療者との対話を通じて、「死」について、明るくまじめに話し合っていきたいと考えています。
なぜこんなイベントをしようと考えたのか?
2015年に、5年生存率3%というがん告知を受け、「死」を考えました。しかし、その「死」について、家族と面と向かって話をすることはできませんでした。そこには、「死」を認めたくない、受け入れたくないなどの気持ちと、ぼくへの配慮などもあったのかもしれません。
でも、「死」のことについては、話し合っておきたい。
ネガティブで話したくないかもしれないけど、話しておかないとなぁ。
どうすればいいんだろう。
でも、かたやこんな想いもありました。
死を考えたときに、生きたいと思った。生きたいなんて、考えたことなかった。
— 西口 洋平/キャンサーペアレンツ (@nishigucci) October 11, 2018
生きる理由、生きたい理由、生かされている理由。そんなことを考えるようになった。
その理由が大事なんではなく、考えること自体が大事なんだと思う。
ぼくは、いま、生きている。
そんなところから、「死」というテーマについて、オープンに話せる場所があればいいな。そんな風に漠然と思っていました。
そんなときに、昨年、医療者とがん患者さんのぶっちゃけトークを一緒に開催していただいたみんくるカフェの孫大輔さんとお話する機会があり、今年の開催の打診とともに、テーマを「死」にしてはどうかと相談させていただきました。
※こちらは昨年開催したイベント
孫さんから、「医療者としても、患者さんと話をしたいテーマだし、参加される方々の学びは多いと思う」ということで、賛同していただくことができ、「死」をテーマにしたイベントを開催する運びとなりました。
「死」を語る、5つのテーマ
人数が多すぎず、少なすぎずの人数感で、ゆっくりと話しができるように。がん当事者10名、医療者10名の計20名にて、ワールドカフェ形式でワークを進めていきました。
※ワールドカフェとは
5つのテーブルを用意し、それぞれが違うテーマとしました。
『死とは何か、生きるとは何か』
『理想の死に方』
『自身の死、家族の死』
『最後の晩餐』
『死後の世界観』
この5つにしたのは、ぼく自身が気になっていることだからです。それ以外では、このテーマに設定した大きな意味はありません。とにかくこのことについて、話がしたかったわけです。
それぞれのテーブルを15分ずつ、4つ回って話をするというスタイルとしました。15分では当然短く、15分が終わるごとに、名残惜しそうに席をあとにする方が多く、活発に対話が行われていたことが伺えました。
自身の死よりも、家族への配慮や気遣い
ワールドカフェが終了後、各テーブルでの対話内容をシェアしていくと、がん当事者の世界観よりも、「自身(が死ぬの)は良いが、家族の立場で死を経験するのはつらい」「家族のことを想うがために、死がツラいものになっているのではないか」「目の前の人に死んでほしくないと想うのが、家族の正直な気持ち。自身の想いだけで死期をきめられない」などの話しが多く出てきました。
これは、がんという病気を経験し、そのことを公にしたうえで、かつ、こういったイベントに出てきているという一定のバイアスはあるものの、そういった意見をもった方が複数いるというのは、僕のなかでは大きな気付きとなりました。
各テーブルで対話された内容がこうして紙に書かれています。なんとなく雰囲気を伝わるかと思います。
※参加者アンケートのコメント
Q、新たな気付きや、学んだことについて
死の正体はわからない。
死はただの事象。
死は平等。
でも意味付けをしようとする、なぜ?
残される側の喪失の受け入れ方としての意味付け。
得体が知れない、でも、そこにあることへの恐怖。(がん体験者)
「死」は自分自身で完結できるものではなく、残された家族や友人にとってのものであること。本人はただそこからいなくなるのみ。その喪失感・空間をどのように埋めるのかは残された者の仕事である。その埋め方は死んだ者には教えることも何かを残すこともできない。まかせるしかない。そのように考えると自分ひとりで決めていると思っていたこともそうではなかったのではないかと感じた。(がん体験者)
患者さんは家族や周りの方々のことをよく想い考えていること。現実的な視点を持っていることを改めて知りました。(こういう場に来る方々だからかもしれませんが)
患者さんとご家族、他大切な方々が十分な対話がもてるよう医療者としてはサポートしていきたい、それが大切だと改めて思いなおしました。ロマンチックをどう現実らしく輝かせられるかを一緒に考えていけたらと思います。(医療者)
医療者は「話し合ってください。今後のことを決めてください」と当たり前のように言うが、当事者の人にとってはすごく負担が大きい。やりたい気持ちがあっても簡単にできることではない。
家族と一緒に過ごせる「今日」の時間を大切にしようと思った。何か特別なことはしない。一人で悶々としていたが対話できたことで気持ちが楽になった。自分ひとりが悩んでいることではないと改めて気づけた。(医療者)
Q、今後の活動や生活にどんな影響を与えそうか
家族や本人も含めた「最期」をどう豊かに過ごすために資格を取り、患者さんに関わるときに「死」についてフランクに話せるように関わっていけたらなと思うようになった。生きる人に対して一人ひとり考えは違うから寄り添うことが大切で、話を聞くことが大切なのだと知ったから、しっかりと寄り添えるようになりたいと思いました。(医療系学生)
死について語ってもよい空気をつくっていきたい。こちらから積極的に語っていくのは難しくても。そして「あんたにはわからないだろう」と言われることを恐れず向き合っていきたい。(医療者)
ナースとして、患者さんと家族が向き合うためにできることは何かないか考えたい。対話の場に積極的に出向いていきたい。(医療者)
医療者としては患者さんや家族と向き合い続けたいと思う。一方で、自分自身のこととして考えたとき、夫や娘とも話してみたいと思う。家族の価値観も知ることは大切だなと思った。仕事として向き合うのとは違う難しさがあると気づかされたことは大きな気付きだった。(医療者)
もっともっと子供と話し合い、お互いが何をどう考えているかを理解していこうと思った。自分の意志が必ずしも家族の価値観にそぐわないこともあるかもしれないので、それのすりあわせをしようと思います。(がん体験者)
やはり、死というのは生きるものにとって未知なもの。全部がつかめなくてしょうがないし、それが自然だと力が抜けることで死をむやみやたらに怖がることは不要かなと思いました。だけど、やはり「無」になることはときどき無性に悲しくなります。(がん体験者)
「迷惑をかけない」という本当の意味について、考えるようにしようと思った。
死ぬ人が考える迷惑⇔この世に残る人の考える迷惑
この違いが重要であること。このすりあわせをテーマにしたい!(がん体験者)
今回のイベントを通して、やっぱり「死」について家族と話をしないといけないと思いました。それは、お互いにツラいことかもしれないし、避けたい話題かもしれない。でも、そのプロセスこそが、生きている時間を充実させることにつながるかもしれないし、死にゆく人、看取る人の心やもろもろの準備が進み、お互いにとって納得のいく最期を迎えられるんじゃないかと感じました。
参加された方々はそれぞれ感じたことを、身近な人とシェアをしながら、もっと「死」をタブーとしないような雰囲気になればと思います。そして、より今を生きるということにフォーカスできれば、いいんじゃないかなと。
※当日の夜、NHKニュースに
今後も「死」については、ぼく自身の大きなテーマなので、また違う角度から対話ができるような場をつくっていきたいと考えています。
今回のイベントにご参加いただきましたみなさん。また、開催に際して、サポートいただいたすべてのみなさんに、感謝申し上げます。
本当にありがとうございます。
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