がんに負けるな
有名人ががんになると、必ず報道される。
なんかツライ治療を頑張ってるとか、体調が良くないとか、家族が献身的に支えているとか、そんなこと。
そして、大変な状況であればあるほど、みんな食いつく。私もその一人かもしれない。
ただ、その中で決まって出てくる文句の一つに、
「がんに負けないで」
「がんに勝ってください」
みたいなものがあります。テレビの人気コメンテーターも、これみよがしに、こんなことを言っています。
ちょっと待って下さい。
もし、その方が亡くなったら、それは、がんに負けたということなんでしょうか。
もし、その方が長生きしたら、それは、がんに勝ったということなんでしょうか。
そもそも、勝ち負けというのは、そこに勝負を挑み、勝ちか負けかがあるということを理解した上で、はじめるものだと思います。では、がんとの戦いは、がんになった本人が、その戦いを希望し、勝ち負けを意識してはじめているんでしょうか。
そもそも、どのようにがんと戦うというのでしょうか。
もちろん、一種のたとえとしての言葉かもしれませんが、全くしっくりきません。
そもそも、勝ち負けではありません。
がんになったこと自体、明確な原因もわからず、ある種、運のような要素もある中で、いきなり勝ち負けゲームに放り出され、もし命を落とせば、「負けた」扱いを受けるわけです。
また、がんが治れば(長生きすれば)、がんに「勝った」かのような扱いを受けるわけです。そして、勝ち方を伝える伝道師にような存在になる方もいます。
がんになった原因がわからない以上、治った原因も明確にはわかりません。つまり、ここには、勝者も敗者もいないわけです。そもそも、誰も望んでこんな無謀な戦いをしたくはないし、ましてや、アカの他人に勝手に「勝って」「負けないで」と言われたくないわけです。すくなくとも、僕はそうです。
ぼく自身も、予後の悪い病気なので、いつ命を落とすかわかりません。
その時、わたしはがんに負けたとは思いません。平均余命を超えたからといって勝ったとも思いません。
また、結果として短い人生だったことが、負けではありません。
がんという病気を経験し、他の人が気付けないことに気付けたし、その中で様々な出会いがあり、やりたいことにもめぐり合えた。長く生きたいとは思うものの、短いからといって負けではない。そんな風に決められたくない。
命を落とした後に、家族に敗者のレッテルを貼られるのも絶対にイヤ。
こころもちが、自身のいのちを左右することはあると思います。
ただしそれは、勝ち負けではないし、誰かに決められるものでもない。
若いうちに、がんで亡くなる。がんに負けるな、がんに勝ってほしかったのに・・・みたいなコメントがたくさんあるけど、勝ち負けちゃうからね。がんになること、亡くなること、それは負けじゃない。そんなこと、勝手に決めんといて欲しい。
— 西口 洋平/キャンサーペアレンツ (@nishigucci) 2018年9月19日
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