がん哲学
がん哲学外来を立ち上げられた、順天堂大学の樋野興夫先生とお話をさせていただきました。
樋野先生が鳥取のご出身ということもあり、そのなまりかはわかりませんが、とても引き込まれていくような話し方で、もう、いつの間にか、「へ~」となってるわけです。
理解しようと思えば大変なんですが、そうなのか~へ~と聞いていけば、すごくラクに聞ける。実は、人生とはそんなもので、答えがないのに、どこかで肩ひじ張って生きているのかもしれないとか考えていると、それももうまさしく、樋野先生の「哲学」の海にハマってしまっている状態なのかもしれません。
上、下の2部構成となっています。
がんは生物学、哲学は人間学ですね。その2つを合体させたのです。なぜ「哲学」なのかというと、「がん相談」では「相談にのってあげますよ」というやや上からの目線になりますが、「哲学」というとこちらも相談者もよく分からないので、同じ目線で話ができるからです。
がん哲学外来の基本理念は「患者の個性を引き出すこと」です。病気は誰にでも起こるもので、その人の持つ個性の一つにすぎません。「病気であっても病人ではない」のです。そういう社会をつくらないといけない。
我々は「なぜがんになったのか」というWhyは問えません。何かが起こったときにはHow=いかに対応するか、が大事です。雨は誰に対しても平等に降りますが、そこで傘を差すか、レインコートを着るか、建物の中に入るかは自由意思なんですね。決めるのは自分自身です。
そういう相談はたくさんあります。今まで相談を受けてきた中で、相談者の方の悩みは大きく3つに分かれます。
一つは治療や自分の死というものについての相談。これが3分の1で、あとの3分の2は人間関係です。その半分は会社の人間関係、もう半分が家族の人間関係です。家族の人間関係では、夫ががんになったときには妻の余計なおせっかいに、妻ががんになったときには夫の心の冷たさに悩む人が多いですね。
人間同士の関係には3つのパターンがあります。プラス×プラス=プラス、プラス×マイナス=マイナス、マイナス×マイナス=プラスです。プラスは元気な人、マイナスは元気をなくしている人です。
プラスの人は同じプラスの人と接したがります。マイナスの人を避けたがるし、マイナスの人もプラスの人を避けます。でも、マイナスの人が自分よりさらにマイナスの人、つまり困っている人に出会うと、プラスになるのです。ですから、自分よりも困っている人を探しに行くことですね。そういう人は必ず自分の周りにいますから。
先ほど「がん細胞で起こることは人間社会でも起こる」という話をしましたが、人間社会においても嫌みな人間はいるものだと思います。でも、存在は認めて共存しないといけません。そうしないとバランスがくずれます。嫌いな人間を外して仲良しだけで集まるグループをつくると、最初はいいのですが、そのうち組織全体ががん化します。がん細胞をおとなしくさせるためには、異なる存在を認めて、まずは関心を持つ、手を差し伸べる。これが肝心なのです。
お話の時間としては、2時間ほどでしたが、時間を忘れるぐらいの、そして、何か疲労感のあるような、そんなひと時となりました。
がんに対する新たなとらえ方に触れることができました。
樋野先生、誠にありがとうございました。