長くはない
先週は、3ヶ月に1回の造影CT検査でした。
採血をして、そのままルートを確保して、造影CTをやり、そのまま化学療法へ。その日はぐったりしてたわけですが。
検査後、ケモ(化学療法)を始める前に、主治医と簡単にお話を。
「大きな変化はないが、気になる所見があり、拡大写真を要望している」
「腫瘍マーカーが、徐々に上昇している」
「あまり先の予定はいれないほうが良い」
そんなことを言われました。
僕のがんは、予後が悪く、長くは生きられないとは知っているものの、これまでずっと元気に過ごせてきたので、「悪くなる」ということに実感がありません。
告知から丸3年が過ぎて、今は4年目。
5年生存率は2.9%。
今年はまさしく、勝負の1年になりそうです。
今のところ目立ったカラダの変化はありませんが、がんはカラダの中で増殖しようと頑張っているはずで、それを抑えるべく通常細胞も頑張っているはず。
ここまで生かされてきたと思っているので、死ぬということについては、どこかで割りきりみたいなものがあるんですが、ここまでいろんなことをやってきたぶん、「アレもしたい」「コレもしたい」と欲が出てきたわけです。
もう少し待ってくれないか。
そんなことを考える。
でも、もう少し待ったら待ったで、また「もう少し待って」と言うだろう。
エンドレスだ。
それが、死にたくないということなんだろうか。
ゴールは決めたくないし、決めれない。ずっと続いていくものだから。ゴールを達成したら、死んでしまうかもしれないという恐怖をある。
(気が張ってるときは大丈夫だけど、テストが終わったら風邪をひくみたいな感じ)
でも、いつ何時、志半ばであったとしても、そのときのベストで死ねたらいいと思うわけです。
生き方はもちろん、死に方もかっこよくありたい。
そろそろ、長くはなくなってきた人生の中で、集大成を考えるべきときが近づいているのかもしれない。