35歳でのがん告知、最後の仕事。

35歳、妻と子(6歳)を持つサラリーマンに訪れた、突然のステージ4のがん告知。自身と同じ境遇の人たちが繋がれる「キャンサーペアレンツ~こどもをもつがん患者でつながろう~」(https://cancer-parents.com)を立ち上げ、治療と平行して活動を続けている。最後の仕事の記録とする。

環境は自分たちが作るもの

ぼくは「がん」になり、様々な活動をするようになりました。

 

その中で、大きな柱のひとつに、がんに対する社会の理解を広げるための活動があります。これは、がんに対する誤解や偏見が、社会の中にはまだまだ大きくあり、それを「がんを知る」ことで、少しずつ減らしていきたいというものです。

 

そのほかに、キャンサーペアレンツの運営、ビジネス化に向けた活動、会社員としての役割などがあります。

 

がんになっても生きていきやすい社会を作りたい。こどもの世代にまで、今と同じように、カミングアウトしにくい環境じゃないほうがいい、息をひそめて生きていくような環境じゃないほうがいい。そう思っています。

 

ぼくは、当事者として、様々な「声」を発信したいと思っていますが、そのなかで、気づいたことがあります。それは、今の環境を作っているのは、そもそもその当事者なんではないかということです。

 

どういうことかと言うと、「がん患者が生きやすい社会を」と訴えている、がん患者自身が、「がん患者が生きにくい社会」にしている、のではないかということです。

 

たとえば、

目を向けて欲しいから、多少オーバーに話をする。

特別なものとして見られたい。

当然のように権利を主張する。

かくあるべきという主張が強い。

などなど。

 

もちろん、社会のムーブメントをつくるために、オーバーにとか、特別だとか、あるべき論を用いることもあります。ぼくももちろんそうです。

かたや、それが逆に、相容れないものとして見られることにもつながる。

 

盛らないと見てもらえない。盛りすぎると胡散臭い。近づきにくい。うざい。

 

これまで、がんに限らず、さまざまな分野で同じような議論があったと思うし、今もあると思う。解決が難しい問題でもある。

 

ぼくができるのは、ありのままで、当事者の想いを忘れず、楽しく生きること。

 

社会を変えたいと大きなことを言ってますが、その一歩は、ぼくの周囲の人に、僕の生き様を見てもらって、「がんになってもイキイキ生きていけるんだ」ということです。それがなければ、その次のステップには進んでいけません。

 

だからこそ、私は会社で働き続けるし、事業(ビジネス)にしたいし、常にオープンでありたい。ありたい環境とは異なる環境を、自らで作っているかもしれないという意識を常に持ちながら、そうならないように、様々な工夫をしながら。

 

そしていつか、「がんになっても生きていきやすい社会」になり、その小さな一歩に、ぼくの一歩の足跡があればいいなと思う。

 

とりとめもない内容になってしまった・・・。すいません。

 

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ぼうず、めがね、がんばります。(むすめ作)

 

 

 

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